マタマラボ〜毒親撲滅〜

毒親育ちで拡張型心筋症、非定形鬱病の何もしない40歳主婦の日々です

毒親克服者の話はうそだらけ〜青木さやかさんの話〜

毒親カウンセラーや毒親を克服した人の話を
聞くことがある。
そう言う人の話はだいたい
毒親と疎遠になったが今は乗り越えて新しい親子関係になり、親孝行してます」
と言う、安っぽいドラマのような話
が多く辟易している。

同じような話で最近青木さやかさんの毒親エピソードを読んだ。

青木さやか「娘に触れる母に抱いた嫌悪感。最期にわだかまりを解消しようとして」
https://fujinkoron.jp/articles/-/1738

私はこう言う人は克服出来てないと思う。
本当に毒親を克服したのなら親を介護して親孝行しよう、なんて考えにならない。
この記事の嫌な所は
毒親で苦しみ、理解されなかった子供の立場を
「私は偉いでしょ?あなた達も克服してね」
と揶揄しているようで、最低だ。
毒親被害者がおなじ被害者を差別している。
 
自分を客観視できている事が毒親克服なのだ。
雑誌媒体で公表するという事は躊躇する。
個人の考えです、と言うのならブログでも
Twitterでも良い。

青木さやかさんの話は毒親に都合が良い。
毒親の本心は変わらず子供がなぜ苦しんだのかを理解していない。
子供の青木さんが無理をして親に合わせた形で
和解している。

大嫌いだった親で辛かったが
親の事情も理解して仲直りし
孝行した子供は美談だが
理解してもらえずに苦しんで生きる道を選ぶしかなかった子供は
「いつまでも親を恨んで大人気ない。」と
軽蔑され、最近では親のせいにするな成人後は自己責任だと言われる。

父を昨年亡くした。難病を患い最期は施設で亡くなったが、1年程は毒母が介護していた。
足が不自由な父を階段が急な2階の部屋に
住まわせたままだった。
毒母は1階の部屋。
何度も父と部屋を変われば良い
と言う話を、父が2階が良いと言い張るから
自分は仕方なく1階にいると言う。
夜中トイレへ起きる父の足音で目を覚ますので
父が2階でも介護は出来ている。
自分は介護して頑張っている、責めるな。と私に
圧力をかけてきていた。
案の定、父は階段で転倒し軽い脳梗塞になる。
滑り止めもなくピッカピカにワックスで磨き上げた毒母自慢の階段だ。
元々危なくて孫も転んでいたのに磨くことを
毒母はやめなかった。転ぶほうが悪いのだ。
兄達は毒母を崇拝しているので文句など無い。

父を好きではなかったけれど
母の介護の仕方を見て「母が妻でなければ父の最後は違ったものがあっただろうな」と
更に母を軽蔑した。

近年は母に対して縁を切った感覚なので
必要最低限の接触しかせず、それでも
年に一度程度は何らかの用事で接触する
事がある。
会話をするだけでも相当の我慢をしている。
これでも精一杯対応できるようになった方だ。

母との問題に苦しんでいた5年間は
地獄しか無かった。
当初は話し合いで理解してもらえると思ったが
理解されず、問題が大きくなり実家からも
親戚からも「真玉が悪い。迷惑かけるな。謝れ」
と言われた。
死んだほうがマシだ、でも子供は守りたいし
迷惑かけるわけに行かない。
焦燥感と人格否定と絶望感。
鬱、過呼吸パニック発作
自殺未遂、自殺企図。
子供は小学生でPTA等の活動もあった。
昼間と夜で別の自分がいた。
死んだほうがマシだ。そう思って生きていた。

今生きているのは親の為じゃない。
何も出来なくなった私の存在を
こころから喜んでくれている夫と子供の為
自分の為だけだ。

毒親で人生を破壊され
普通に生きる事も出来なくなるほど
身体が動かなくなったのだ。

毒親を許す事で自分が楽になる事など
「詭弁」でしかない。
本当に苦しんだ事が無い人だと思う。
これはよくある「毒親カウンセラー」にも
言える事だ。
自分が克服したからといって「偉そう」に
セラピストなんて出来ない。

鬱の治療途中だが専門の臨床心理士と医師の
話が基本だと思っている。
心理学や精神医学を学んだ上で「毒親カウンセラー」を名乗っている人の話は理解できる。
でも個人の体験だけで語れる問題では無い。
毒親問題は素人が答えを導ける程
簡単な話ではないし、その過程で物凄く苦しみ
親を諦めると言う事は絶望を味わう。
自虐に走って自殺するか親を殺すか。
大げさでなくそのぐらい苦しく危険なのだ。
だからこそ、毒親問題からの精神病は
専門家を訪ねるべきだと思う。

毒親を単なる子供のわがまま問題、
アダルトチルドレンでしょ?と簡単に
捉えがちである。
生まれて初めて出会い、従うしかないのが
親だ。
最初の人間関係に躓いて病んでしまうことが
どれ程重要なのか
全ての人に分かってもらいたい。

コロナの中の鬱母と中学生

コロナの影響により子供の学校は
2月末から学校閉鎖。
今週末からオンライン授業が開始されるらしい。
この2ヶ月は課題ばかりやっていて
大変だなと思っていたので
オンライン授業開始と聞いて
少しホッとした。

困ったのは私も夫もネット関係は
全くだめだ。
私のほうが若干理解できるが
鬱が酷い状態では理解不能である。
中学生の息子は昔からiPadに触れているので
なんとかなるだろう、と任せっきりにした。
分からなかったら学校や友達に聞くだろうし。

甘かった…。
初日の授業はエラーが出て
参加しなかったのだ。
それでも特に困った様子はなく
普段通り野球ゲームをしていた。

息子は自動的に全ての設定がお膳立てされた
世界で生きている。
ネットが繋がらなくても明日には直るだろうし
オンライン?ま、いけるっしょ?
軽い「ノリ」でしか物事考えていない。
面倒だから友達にも聞いてなかった。
今の十代はお笑い芸人「EXIT」そのままだと
思ってもらって良い。
見かけは真面目でも頭はあんな感じ。

学校から「オンライン授業参加してません」
と連絡が来て初めて知った私。
学校の事は殆ど息子に任せている。
特に私が当てにならないほど病状が酷いときは
必要な事は自分から伝えてほしいと言っている。
自分からは何も言わない。
私や夫が尋ねて初めて息子は考える。

息子に先回りして準備してきた私。
一人っ子なので特に何でも口出しし過ぎて
親の言う通りにすれば良いと思わせてしまった。
毒親育ちの悪い部分が抜けていないので
気を付けていたのに
子供を無意識状態にしてしまっていた。

反省して、これから息子の自発性を育て
なくてはいけない。
子供が躓かないように手を差し伸べるのではなく
躓いてから手を差し伸べよう。

とか、偉そうに書いたのですが
盛大に親子喧嘩して、家に居るのが嫌になり
買い物へ出かけるふりをして外に出ました。
具合悪いのにパジャマ、サンダル姿で。
コロナで家にいるからこそ
子供の事がよく目につく。良くないですね。

全て私が悪かった!と言う逃げの謝罪じゃなく
中学生の子供に理解できるように説明して
感情的になった所を謝らなければ。

面倒で難しい…。でも感情的になった親が悪い。
感情的になったら負けだ。
毒親になりたくないなら子供と向き合って
話さなければ。
無言で「分かるよね?」の圧力は繰り返さない。

健全で健康な人間は自分の事を
どんな状況でも客観視出来ている。
それが出来ていれば子供にも他人にも
自分の価値観を押し付けるような事はしない。
だから毒親になりようがない。

まだ私は毒親です。

センスの塊集団にいると死ぬ

私はカラフルなもの、ぱっと見て華やかなもの
を見ると幸せな気持ちになる。
子供の頃、色鉛筆の24色セットを持っていた
友人がとても羨ましかった。

サクラクレパスの腕時計なんて可愛いに
決まってる。欲しい。
https://www.fashion-press.net/news/60562

幼稚園のお飾りとか、遊具の色使いとか
たまらなく好きだ。
子供が幼稚園〜小学校低学年までは
男の子でもカラフルにさせたい!と
明るい色の洋服を着せていた
完全に親の趣味である。
中学生になりさすがに周りの目もあるし
嫌がるだろうと無難な私服を準備
するようになった。

カラフルな物が好きなのはなぜ?と
考える。
毒母の親族は哲学センスの塊だ。
そこのセンスからはみ出た物は
ダサくて愚か者な俗物。
そう言う雰囲気。

母はイギリス調のくらーい、光が当たらない
リビング家具が好きで
吹奏楽をやってる次兄の影響もあり
60過ぎてピアノを習った。
母のセンスは鬼ダサいと思うが
母から見れば私のほうが鬼ダサと思われる。

親族に目を向けると
ラカンとかハイデガーとか
良く分からないけど、黒と白と差し色で赤。
世界観。家具の雰囲気はCassinaとか
ルフレックスなんかが近い。

色のない世界に色がほしい。
おもちゃ箱みたいなのも可愛くて
きれいじゃ駄目なの?
自分の心理状態と重なり合って
カラフルな物が大好きになった。

車はドイツ車かイタリアとか外車こそ至高。
音楽は70年代洋楽。一部の邦楽。
最近はBABYMETALだけは別格。
それ以外はゴミくず。嫌い。
くだらない、と言う。

私は不幸にも非常にノーマルだった。
だから理解できなかった。
興味を持たなかった。
日舞をやっていた影響で
古典邦楽も好きだけど特殊だと思っていたから
隠したし。
古典邦楽こそ至高の音楽とか決めつけて
お前の好きな音楽最低だな、とか言う?
人としてどうかと思うけど。

心が開けそうな親族と友人に
「superfly」が好きと言った。
その二人とも「嫌い」「ウケる」と。

私は人の趣味を告白されても何も言わない。
楽しく会食してる時に、別の友人が
恥ずかしそうに「韓国アイドルが好きなの」と
言った。全く興味が無かった世界だけど
楽しそうに話す友人が本当に嬉しそうで
「うん、うん」と話を聞いた。
ちょっとだけ知らない知識を知れたので
楽しかった。

他人の興味ある事って多くの人には
全く意味の無い事。
でもそれをわざわざ「ダサい」と
言わないで決めつけないでほしかった。
狭いセンスによって家族、親族カースト
を決められて地獄しかない。

親族の皆さん、人の趣味を否定
しまくって傷つけないでください。

コロナになって考えた学校の事

私は不登校でした。
基本は「嫌なら学校へ行かなくて良い」と言う考えです。
幼少期の私は家庭内カースト最下層で
自分を押し殺して生活していました。
勉強や規則に縛られる学校へ対応できる
余力が無かったんです。

自分の子供には学校を強制させる事はしない、
学校で理不尽な事があったら守り抜くと決めて
育てました。
現在では学校を嫌わない子供になりました。

学校が嫌いだった親から生まれたのに
何故学校嫌いにならなかったのか?
本当の所は子供に聞かなければ分かりませんが
自分で考察すると
①息子は人と関わるのが好きなタイプだった
②ストレスを極力貯めないように見守った
③頑張っても苦しければ行かなくてOK
この3つを意識して家庭で接していたからではないかと思います。

毒親で親の都合の良い子育てに振り回された事
で子育ては特に慎重でした。
学校が教育の場ではないし、全てでもない。
「教育」の基本は「家庭」である。
親が子供の本質を理解できている事前提ですが
当然の事です。
子育て最中なので偉そうに言う立場ではない
のですが、私はそうやって育ててきました。

コロナウイルスで学校閉鎖になってしまった時
子供がこれからどうなってしまうのかが
不安でたまりませんでした。

学校が大好き!と言う訳ではないにしても
人と触れ合う事が好きな息子にとって
嫌な勉強も面倒くさい校則や学校での多少の
息苦しさがあっても、大切な居場所です。

学校の無い生活をしている現在、息子は
目に見える程病んでいる事はなく
親が心配してる程では無かったので
少しホッとしています。
それでも学校に行きたい、部活をしたい!と
毎日のように話しています。

オンラインでの授業や課題等で勉強は
家でもできる事で、新たに学校とは何かを
考えさせられました。
学校は「少しだけ頑張る」場所なんですね。
嫌なことを「少しだけ」体験する。
色んな嫌な事の中で克服できそうな事
できない事を見極めて、初めて本当に
好きな事を発見していく。
成長途中の息子は少しずつ「好きな事」を
見つけ始めたんだと思います。

コロナウイルスで学校不必要論が出ています。
不登校の頃の私なら真っ先に「不必要」でした。
でも、息子は「必要」と言うでしょう。

どちらが正解かではなくどちらも必要です。
様は子供の為の「教育」なので
選べるようになればいい。
自分の最適な居場所を求める事に大人も子供も
無いんです。

今だからこそ学校も何が必要かを見直して
本当に子供のためになる教育課程再編成して欲しいです。
未来を委ねる事ができるのは大人ではなく
子供なのだから、と常に考えています。

実家の家族がめんどくさい

毒親育ちなので家族も変。
毒母は親族経営の会社に勤めています。

当たり前だけど、母方親戚も頭おかしい。
母方の祖父は某宗教の地方で教える資格?
みたいなのを取得した程のめり込んでいた人。
祖父は虐待親育ちなので
人格障害もあったんじゃないかな?
祖父はそのまま宗教の教えで動くので
祖父を崇拝するように家庭内も無意識支配
していたと思います。

毒母はかなりめんどくさい人でした。
数え上げればキリがないけど
①「自分の不都合を人のせいにして
手柄は自分のものする」
②「無意識に人を都合の良いように操作する」
です。
この2つの特徴によって極限まで追い詰め
られました。
私は母の為に生きる事でしか許されなかった。
母は今でも気付かず、逆に「自分程娘に振り回された可哀想な母はいない」と思っています。

兄二人は同じ会社に勤め
娘の私は働いた事などありません。
働きたいと思った時は入社させてくれ!と
言えないように封じ込められた。
母の無意識で動かされるように育ってしまった
ので、母の意に沿わない事はできなかった。

宗教っぽいなと思います。
教祖様の教えを解釈したら教えから背く
と思われる行為は考えられない。

ぼちぼちと毒親教を語っていこうと思います。

はじめまして!

はじめまして。
色々と考える事が好きな真玉です。

一年前に心不全を起こして拡張型心筋症と
診断されました。
20年以上の鬱病歴があります。

私は一応主婦ですが、病気からくる倦怠感で
(主に鬱病
家事全くできてません。
拡張型心筋症になってからは
何か行動をしようとすると以前よりも
数倍気力が必要となりました。

家族の事を思うと何も出来ない自分に
腹が立ち、申し訳なくて情けなくて。
更にうつ症状が悪化していきました。
生きてる価値無いじゃん!

夫と子供に助けてもらう日々ですが
嘆くのではなく、楽しい日々に変えたい。
そう思ってブログはじめました。

宜しくお願いします!